『めまい』について

演じるということは、劇場などと違い、現実の中では虚構になってしまう。
あるいは、彼女は小さく切り取られた小窓から、現実を見ようとしていた。
それはあまりにも小さすぎて、私の手に負えなかった。
なぜ、愛は、必死になればなるほど人を傷つけ、傷つけられ、また遠ざけてしまうのか。
それが簡単に解れば、誰も苦労はしないのだろうけれど。
そんな夢の世界、例えば、ディズニーランドを外の世界から冷静に分析したボードリヤールを思い出したり、ナボコフのような、小さき者に対する愛の世界観が頭をよぎったりもする。しかしこのところ、自分自身が、よく崖から落ちる夢を見る。
そして、苦しめられている抑圧された現実の正体とは何なのかと考えるようになった。
単に優しいことが、本当にその人のためになるのだろうか。

アルフレッド・ヒッチコックの『めまい』は、高所恐怖症に悩まされる元刑事のファーガソンが、元同僚で、造船業を営むエルスターから、妻マデリンに、死んだカルロッタが乗り移って、奇妙な行動を取っているという話を吹き込まれ、それを信用し追跡を頼まれた主人公ファーガソンが、さまざまな手がかりを使って解決しようとするストーリー。
マデリンは、ファーガソンが追跡を始めた頃、ゴールデンゲートブリッジの傍から海に飛び込む。それをファーガソンが救い出したことがきっかけで、二人は恋に落ちてしまう。
それからというもの、ファーガソンの調査は熱を増し、カルロッタの肖像画における髪型とネックレスが、マデリンのそれと一致するというアレゴリー、夢に見るという暗い廊下、鏡など、すべてが死者からの憑依として調べ上げられ、描かれる。しかしその後、
林の中に行って冥府に陥り、それから教会へ向かい、マデリンは屋上から身を投じる。
高度恐怖症であるファーガソンは、屋上まで行けず、
階段の途中で落下してきた人間がマデリンの死であると思い込む。

「架空の」マデリンが亡くなった後、マデリンが滞在していた同じホテルをファーガソンが通りかかったとき、マデリンそっくりのジュディという女が、窓の中に佇んでいた。
マデリンに対するショックで放心状態だった彼は、その姿に一瞬で魅了されたのだった。
二人の仲は進展したが、ジュディが出かける際に身に着けたネックレスが鍵になり、全て嘘だったということがばれてしまう。
そのネックレスは、死んだ筈のマデリンがしていたものだった。

結局のところ、保険金欲しさからなのか、妻が錯乱状態で自殺したと見せかけるため、本物の妻が他人を教会の屋上から突き落とすというエルスターが仕組んだ計画なので
あった。ファーガソンは彼女の精神状態をなんとかしようと奮闘したが、
逆に彼自身がトラウマを抱えてしまう。彼は、ジュディが本当に投身すれば、
過去の記憶との一致が起き、全てが解決するのではないかと考え、彼女とともに、
教会の螺旋階段を上る。

もちろんこれは、フィクションの世界での出来事なのだし、怖がることはない。
ただ一方、物語構造とその象徴化作用において、言及しなければならないところがある。

私はファーガソンのように、君の夢の欠片を探した。フロイトは夢分析において、
抑圧された現実の症候を夢に見た。しかし、被抑圧者のそれは、
やはり加工されていた。あるいは自由連想法により、
言葉の「症状=徴候」としてトラウマを治そうと考えていた。もちろんトラウマは、
勝手に膨張していくし、
喋ればすぐに解決するのであった。しかし、今度はこちらがトラウマを抱えることとなった。
ファーガソンの夢は、マデリンの徴候でいっぱいで、それに悩まされることとなる。
しかしそれが嘘であるとわかってから、狂気となった。
あるいは、写真として。それが、物語の中の「ネックレス」と符合する。
壊れたはずの電話からは、ジャン・コクトーが言ったような、声が、
言葉として漏れ聴こえていた。
それはやはり細々としており、なんとかならないものかと思ったのだが、
なぜか批判されてしまう。しかしその時は、批判されても怖くなかった。

マデリンは、死者の霊が乗り移っていた。山の麓の霊は、抑圧された「不気味なもの」として、
やはり、山へ帰さなければならないのかもしれない。

夢、現実、あるいは超現実の多重化された世界を往復しながら、
私はいつも悩まされている。
悩みが終わることがない。そして、何も考えないということが出来ない。


夏目漱石によれば、恋は罪悪なのである。
しかし、それに耐えられる度量が、結局私になかったということなのだろう。
これが、なにかを乗り越えるための糧になればいいと思っている。
乗り越えなければいけないのは、本来此方の方なのだが。

『めまい』の中では、サンフランシスコの綺麗な海が度々映る。
アップダウンの激しい市街地からふと、主人公が穏やかな海を眺めるように、
何かあったら海を思い出して。きっと心も落ち着くことだろう。

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